新しい愛の時代とJ-POP

新しい愛の時代とJ-POP

前回の投稿で、最後にYouTubeのリンクを貼った藤井風さんの『grace』という曲にハマっています。

「あたしに会えてよかった やっと自由になった」

という歌詞が衝撃的でして。

目次

藤井風って、とんでもないな。

「あなた」ではなく、「あたし」?
あなたに会えてよかった」ではなく、「あたしに会えてよかった」とは耳を疑いました。

「あなた」だったら、色々ありますよね。
「あなたに 会えて 本当に よかった」という小田和正氏の『言葉にできない』とか、
「バンザ~イ 君に会えてよかった」というウルフルズの『バンザイ~好きでよかった~』とか。

「あたしに会えてよかった」は聞いたことがないし、思いつきもしません。
どうゆうこと?
自己愛?Love myself?

そんなこと、どストレートに歌っちゃっていいの?

でも、聴いていると、新しい時代、新しい価値観、新しい世界へ連れて行ってくれるような、
自分がアップデートされるような気がします。
しかも、外へ向かう開放感ではなく、
意識が内側に向かっていくのになぜか解放感を感じる不思議。

やっぱり、藤井風ってとんでもないな。

ミスチル的自己愛

自分に対する歌というと、”Mr.myself”と自分自身に呼びかけるあの歌を思い出します。

今から約30年前、私が小学生だった1994年の大ヒット曲、Mr.Childrenの『innocent world』です。

窓にうつる哀れな男が 愛しくもあるこの頃では
Ah 僕は僕のままで ゆずれぬ夢を抱えて
どこまでも歩き続けて行くよ いいだろう?Mr.myself」

自分自身に”Mr.”を付けて呼びかけるとは、なんて斬新な!

その後、4年後の1998年には、
『終わりなき旅』

もっと素晴らしいはずの自分を探して
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」

さらに3年後の2001年 、
『優しい歌』では

鏡の中の男に今 復讐を誓う」

と歌うミスチル。

だいぶ厳しい。
自分はこんなもんじゃない。もっと頑張れ。
お前はもっとやれるはずだという自分への愛のムチを感じます。

それから約20年。
ミスチルを聴いて育った私は40代になり、小学生のお母さんになりました。

自己愛は恥ずかしい?

コロナ禍が当たり前になった2022年。
『grace』と同時期に『可愛くてごめん』がリリースされ、小学2年生の我が娘も、夢中になって歌ったり踊ったり。

「Chu! 可愛くてごめん 生まれてきちゃってごめん」
「自分の味方は自分でありたい 一番大切にしてあげたい 理不尽な我慢はさせたくない それが私」

なんだ、この感じは。
ふざけてんのか?なめてんのか?そんなんじゃ生きていけないわよ?!
この世は理不尽で成り立ってんのよ!!

と、すかさず嫌悪感を抱きました。
こんな歌、歌っちゃダメです。
おかーさん、許しません。

今から2年ぐらい前の保育園時代には『うっせえわ』が流行り、

「うっせえ うっせえ うっせえわ あなたが思うより健康です
一切合切凡庸なあなたじゃわからないかもね」


と、さんざん糾弾されてきた私。
「可愛くてごめん」より「うっせえわ」の方がまだマシだと思いました。
「可愛くてごめん」はなんかイライラする~~~。

でも、よくよく聞いたら、非常に大事なことを歌っていないか?
「自分の味方は自分でありたい」。
娘には是非ともそうあってほしい。
理不尽な思いなんてしなくて良い。
そんな世の中になったら最高じゃん。

褒め言葉一つでも、ルッキズムにならないように慎重になる世の中です。
みんながそれぞれにカワイイと思って生きていけば良いし、
実際、みんなそれぞれに可愛くて尊い存在だ。

私が「可愛くてごめん」に違和感を感じる理由がわかりました。
それは、愛がダイレクトに己に向かっているところ。

愛って、外に向かうものであって、内に向かうものではないのでは?
I love me.ってこと?
きゃ~!恥ずかしい!
この羞恥心に耐えられる人、すごい。

いや、でも、なんで恥ずかしいの?
私のその羞恥心はどこから来るのだろうか?

自分に優しい世界、現る。

現代の子は、もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅に出たり、鏡の中の自分に復讐を誓うことはないのかもしれません。

彼らは『アナと雪の女王』がデフォルトの世代なんですね。

「ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
何も怖くない 風よ吹け 少しも寒くないわ」

この『let it go ~ありのままで~』が2013年なので、もう10年前!

『アナ雪』が空前のヒットを遂げた当時、大人にこそ突き刺さった「ありのままで」という言葉。
ありのままって何よ?
今さらありのままでとか言われても困っちゃう大人たちをよそに、
この約10年の間に生まれた子どもたちは、ありのままの自分で生きるなんて当たり前。

そりゃあ「可愛くてごめん」「むかついちゃうでしょ、ざまあ」と楽しそうに歌えるはずです。

さらに、「あたしに会えてよかった」と高らかに歌い上げる若者・藤井風まで現れた。

どういうこと?
めっちゃ優しい世界ではないか。
自分に優しい世界。
え?自分って、優しくして良い存在なの?

“まだ限界だなんて認めちゃいないさ”って、”もっと大きなはずの自分を探す”終わりなき旅はしなくてもいいの?
ミスチルだって「誰の真似もすんな 君は君でいい 生きるためのレシピなんて無い」って言ってたけど、
なんかニュアンスが違うよね?

なんだかもう隔世の感があります。

みな等しく輝く時代へ

しかも、藤井風は

あなたはわたし わたしはあなた
みんな同じと気づいた時から
僕らは みな等しく輝いている」

とまで歌っています。

もはや、みんな違ってみんないいどころではない。「みんな同じ」と言っている。
鈴と、小鳥と、それから私。
金子みすゞを超越している?
違いを認めるどころか、自分も他者も同じだと気づき、みな等しく輝くとは・・・?

多様性だなんだ、ダイバーシティだなんだって議論している人たちを軽く追い越し、
ビューンと遠くまで行ってしまった。

待って!置いていかないで〜!!

もはや、既存の宗教ではカバーしきれない概念ではないでしょうか。
前提条件がそもそも崩れている。

だって、私もあなたもみんな同じって。
そして「自由になった」って。。

神も仏も出る幕が無いではないか。

いや、宗教のことはそこまで詳しくは知らんけど。(すみません)。

みんなが欲しくて、でも手に入らないと諦めていたものが、いとも簡単に手に入れられるような。
その道あったんだ?!という道が開けていくというか。

ちょっとちょっと、どうすればいいの?
おかーさん、もうわかりません。

愛に従う。

藤井先生はこうおっしゃいます。

「何が出来るかな
愛に従うのならば
出来ないことなど
何もないさ」

愛に、従う?

どういう意味だろう?と考えていたら桜井和寿氏の声が聴こえてきました。

それって・・・、center of universe ってことか?

「あぁ 世界は薔薇色
総ては捕え方次第だ
ここはそう CENTER OF UNIVERSE

僕こそが中心です
あぁ世界は素晴らしい」

2000年のミスチルの歌『CENTER OF UNIVERSE』を思い出しました。
ちゃんとミスチルも歌っていた?23年前に!

と、現代の曲を昔のミスチルを介して理解しようとしています。
ああ、「愛に従う」って「CENTER OF UNIVERSE」ってことね!!と。
ちょっと違うかなあ?

「愛する」とか「愛される」とか、今も昔も、日本語における「愛」ってよくわかりません。
いつまでたっても外来語。
最近は、「愛を使う」という言葉も耳にします。

よくわかんないけど、わかりたい。
自分に優しくて、愛に従い、愛を使う時代が来ているようです。

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