日本史苦手コンプレックス、克服?

日本史苦手コンプレックス、克服?

突然ですが、皆さまは「歴史」ってお好きですか?
私、歴史が苦手なんです〜。
特に日本史。
「世界史受験だったからさー」を言い訳にしてきましたが、もはやコンプレックス。

できれば初めからやり直したいのですが、そこまでの情熱も興味もなく・・・。

朝ドラも大河ドラマも好きだけど、それは「豪華キャストによる面白いドラマ」として好きなだけで、歴史上の人物が何をしたかは答えられないし、すぐ忘れちゃうし、時系列もごっちゃごちゃ。

たまにコテンラジオを聴いている時は、世界史やっといてよかった!と思うこともしばしばですが、日本史になると、うーん。。

そんな私が最近ハマっているのがNHKの番組『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』。

シーズン3として日本編が放送されているのですが、明日で最終回を迎えます。

これを録画して毎週見ていたら、60年代〜90年代というすっぽり抜けていたパーツが埋まって、教科書の文字と私のリアルな記憶が繋がりました。
日本史苦手コンプレックスが克服できそうな予感がしております。

目次

戦争に負けた国

82年生まれの私にとって日本は、「昔、戦争をやって負けた国」という認識でした。

でも、負けて終わりではなく、その後もずっと敗戦国なんですよね。
客観的な事実ではなく、60年代以降の日本の歴史とは「戦争に負けた国の歴史」だということが主観的にわかった気がしました。

特に、自分の親が生きてきた時代を映像として見ることができたのは良かったです。
あーこういう時代に生まれ育った人に私は育てられたのか。と。

戦争によってズタボロになり、傷だらけになった国土と人々。
国土の傷は無くなったけど、人々の傷は癒やされないまま、完治する前に新たな傷を負っていく。。

60年代以降も世界では常に戦争が起こり、日本も無関係ではない。
その都度、葛藤、いや激しく対立し、血と汗と涙を流しながら、なんとか平和を保ってきたということがわかりました。

平和は当たり前ではなく、すごく脆い。

その中で起こる事件や流行、作られた作品や製品など「サブカルチャー」を通して、当時の人々の心情に思いを馳せられる番組でした。

海外の研究者が客観的に語る部分も多く、「とある敗戦国の歴史」というフィクション味を帯びて、ドキドキワクワク、ヒヤヒヤしました。

解釈に正解はない?

明日の最終回は、いよいよ90年代後半です。

先週の放送は「切断の年・1995年」。
“本当の意味”で80年代が終わった年で、「今に至る長い長い長い暗い時代の始まり」という言葉とともに、おどろおどろしいBGMが流れていました。

先々週のエンディングでは、94年11月発売のMr.Children『Tomorrow never knows』にかぶせて、

「翌年やってくる 思いも寄らぬ明日を 人々はまだ知るよしもなかった」

で締め括られていました。

2023年に振り返ると、94年→95年はそんな表現になるんだ。
トゥモネバの使い方よ!
あの天才的なイントロを悲劇の前触れみたいに使うなよ!

まあ、「翌年」と言っても2ヶ月後だけどな。
阪神大震災で幕を開けた、1995年が始まったのは。

演出もストーリーも上手いです。
さすが天下のNHK。

そして、95年はH Jungle with t の『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜』の歌詞

優しさに触れることより ふりまくことで ずっとずっと今まで やってきた
それでも損したなんて思ってないから今夜も 何とか自分で自分を守れ

を引き合いに出して、

「戦いの中でなんとか自分で自分を守れ」
これが時代のメッセージだったのか。

と語られる。

いや、そこ?
2番の歌詞やん。
そこ、そんなにインパクトなかったけどなあ。

どちらかというと、

がっかりさせない期待に応えて素敵で楽しい いつものオイラを捨てるよ
自分で動き出さなきゃ 何も起こらない夜に 何かを叫んで自分を壊せ!

という

流されてばかりいないで「時には起こせよムーヴメント」という歌だと思っていたけど。(タイトルだし)。

そして最後は、

「それにしても、90年代半ばのヒットソングはやるせない」

と言って、

ありのままの姿を見つめたい
夢や希望にすがる時代(とき)は過ぎた

という『奇跡の地球』が流れました。

正しく絶望することで現実を生きられる。
だがこのころ、インターネットという希望が社会に登場する。

なーるーほーどー。そう来るか。

初めて、歴史ってこういうことなんだなと思いました。
起こった事故や事件、現象は事実だけど、それをどう解釈するかは文脈次第。

解釈は人の数だけあって、正解も不正解もない。たぶん。

アドラー的に言えば、過去は存在せず、今によって捏造されるもの。ということか?

私が苦手としていた歴史は、正解がある「歴史」です。
教科書の註書きまで丸暗記する「歴史」。
でも、そればかりが「歴史」ではない。

大人になったらからこそ、歴史は必要だし、面白いのかも。

やっとここに来れたよー、龍ちゃーん!(コテンラジオの深井龍之介さんに向けて叫んでみました)。

最終回を勝手に予想

明日の最終回は、おそらく「キレる17歳」が出てくるんじゃないかなあ。
私はまさにその世代で、「松坂世代」ともてはやされる2歳上の先輩たちと比べて、なんだこの違いは!とキレておりました。

私も2年早く生まれたかったなあ。
しかも松坂世代は、「21世紀最初の新成人」という称号まで与えられていた。
どこまで持ってんねん。
その希望、オラにも分けてくれ!

でも、私たちには松坂世代に無いものがある。
それは「宇多田ヒカルと同い年」という事実。
(ヒッキーは83年の早生まれです)。

サブカルチャー史には、荒れる若者がたくさん登場しました。
学生運動しかり、盗んだバイクで走り出して、夜の校舎窓ガラス壊して回った人たちしかり。

なんでこんなことしてたんだろう?と不思議に思うことには、時代背景が大きく影響しているものなんですね。

「キレる17歳」にはどんな文脈が与えられるんだろう。
無かったことにされたら寂しいな。
『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』という文脈の中で、どんなふうに意味づけされるのか。興味津々です。

今は戦前?

昨年末、『徹子の部屋』で、2023年はどんな年になると思うかと問われたタモリさんが「新しい戦前になるんじゃないですか」とおっしゃって話題になりました。
今年の夏、同じく『徹子の部屋』の戦争特集で、アーカイブ映像の高峰秀子さんが「戦後が終わったということは、戦前になったということ」と徹子さんと頷き合っていました。

今は、戦前。

まったくピンと来なかったし、信じたくもなかったけど、たしかにそんな気もしてきました。

いや、既に戦前とは言えなかったりして。

番組は90年代で終わるけど、そこから現代に至るまで23年もある。
2000年代の歴史について、適切な文脈を作るにはまだ早いのだろうか。

いつだったか、美輪明宏さんが「フランス革命はつい最近」とおっしゃっていました。
私も歴史に精通して、己の文脈で語れるようになりたいなあ。

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