吉祥寺駅から井の頭線に乗って、終点・渋谷駅のひとつ前の駅「神泉」(しんせん)へ行ってみました。
目的地は、松涛美術館です。
「111年目の中原淳一展」を見に行きました。
私は、中原淳一を中退?
私は学生時代に中原淳一さんを知り、画集や本をよく読みました。
中原さんの言葉は、若い女性へ向けたものが多く、迷える子羊だった私は中原さんの言葉に揺るぎない正解を求めていた気がします。
所有していた画集や本はもう一冊も手元に残っていません。
卒業した気持ちで手放しました。
今回、戦後生まれでもないくせに「中原淳一、懐かしい~」ぐらいの気持ちで展覧会に行きましたが、いやあ、中原淳一を卒業しただなんておこがましい!私なんて中退じゃん。
その美学と美意識、私はいったい何をわかった気になっていたのか!
ただ単に逃げ、諦めただけはないか!?と反省・・・。
「き、きびしい・・・」。中原さんの言葉のひとつひとつに戦慄する私。
もはや、良き乙女として生きてまいりますっ!な気概もなく、そもそもなんの気概もない。
人生の中に中原さんの言葉に触れた時間があったのに、こんな体たらくになってしまったこと、申し訳ねえ。
片づけるの面倒くさいからモノを減らす。品数を減らす。服も靴も減らす。
それでも散らかっている!日々、面倒くさいことだらけ!
年がら年中エコバッグをぶら下げ、ゆるワンピでゆるく生きている。
そんな「ゆるさ」と正反対の美しき世界観・・・。
しかし、中原さんの絵やメッセージは、「こうあらねばならぬ」というものではないのです。
『虎に翼』のサイドストーリー?
「こうあらねばならぬ」という軍国主義に苦しめられた若い女性たちに、自分の頭で考えること、自分の心で感じることを大切にし、美しく着飾り、生活を彩ることを肯定してきたのが中原さんなのだと今回の展覧会で気づきました。
あれもダメこれもダメと押さえつけられた挙句に、何もかもを失い、食べるものにも困窮する中、終戦のたった1年後に雑誌『ソレイユ』が創刊されました。
創刊号の冒頭部分から、この展覧会が始まります。
今出来る事、今着られる服だけをのせていたら、
この『ソレイユ』の存在価値はない。
こんな本はくだらないと言われるかも知れない。
お腹の空いている犬に薔薇の花が
何も食欲をそそらない様に。
然し私たちは人間である!!
窓辺に一輪の花を飾る様な心で、
この『ソレイユ』を見ていただきたい。
中原淳一「編集後記」 『ソレイユ』創刊号 1946年
なんと、日本国憲法の公布と同じ年で、しかも公布前です。
『虎に翼』で寅子が夫の死と向き合って、河原で日本国憲法の条文に出会った頃ではないでしょうか。
「すべて国民は法の下に平等」と国民が知る前に、中原さんは「然し私達は人間である!!」と説いたのです。
人間には、一輪の花、すなわち「美」が必要なのだと。
寅ちゃんが日本国憲法条文で生気を取り戻したように、中原さんの言葉によって前に進めた人が大勢いたのではないかと、勝手に『虎に翼』のサイドストーリーを展開させて感動してしまいました。
付録に感動!
展覧会の中で、私が特に感動したのは少女雑誌の付録です。
中原さんは、戦前から少女雑誌を手掛けていたのですが、当時の限界に挑戦したという紙製の付録たちのクオリティは、女の子の心に寄り添い、楽しませたいという気持ちが込められた素晴らしいものでした。
一緒に行った小3の娘は、「付録が紙製?!あり得ない!」と驚いていましたが。
令和の小学生、『ちゃお』の付録のお財布を愛用しております・・・。
展覧会の中で、「10代の読者たちがよき少女時代を送るために」という言葉が出てきました。
立派な大人になるためではなく、よき少女時代を送るため。
私も娘も享受してきた女の子向けの漫画や雑誌、付録の数々、文化の一つ一つは、中原さんの気持ちから始まったのかもしれません。
そう思うと、この国で生まれ育った女の子は中原淳一さんと無縁では無いのかも。
松涛美術館の場所をグーグルマップで調べていたら、行ってみたい印をつけていたこの「アネアカフェ 松見坂」を発見しました☆
ここからは、スノ担(SnowManファン)目線でおまけです。
アネアカフェ松見坂のすぐ近くには、阿部亮平君の母校・都立駒場高校が!
帰りは駒場高校の前を通って、井の頭線・駒場東大前駅から帰ってきました。
松涛美術館目当てで行きましたが、思いがけずオタ活もできて大変エモい神泉さんぽとなりました。