トーベ・ヤンソンって、どんな人だったんだろう?

先日、「トーベとムーミン展~とっておきのものを探しに~」を見に行って、作者・トーベ・ヤンソンに興味が湧き、この本を読んでみました。

絵や写真がたくさんあって、とても読みやすい本でした。

「トーベとムーミン展」でも思ったのですが、トーベさん、絵がものすごく上手くて、めちゃくちゃ多才なんですよね。
芸術家の両親の元に生まれ、歩く前から絵を描いていたとか。
7歳の頃には、自分で書いた物語を出版したくてたまらなくなって、「トーベ出版社」と記された冊子を同級生たちに売っていたそうです。
ちゃんとお金をもらっていたところがスゴイ!

トーベとムーミン

ヒルマ・アフ・クリントとの共通点?

いよいよ画家への夢が叶うかという時、第二次世界大戦が勃発し、変動的な美術界では女性蔑視があり、さらにどうやって生計を立てるかなどの現実に、振り回されてしまうのです。
でも、それは敗北ではありませんでした。
トーベが生きた多彩な人生は、他に類を見ない作品―みんなに知られ誰からも愛されるムーミンをはじめ、数々の素晴らしい作品―を私たちに届けてくれたのです。

はじめにより

20世紀初頭、女性芸術家が認められなかったことは、今年6月に見た『ヒルマ・アフ・クリント展』で知りました。
ヒルマ・アフ・クリントとトーベ・ヤンソンは、世代も作風も違いますが、北欧出身の女性芸術家として、2人の共通点を探りたくなってしまいました。

2人が活躍した時期は約50年ほど違いますが、当時は男性中心の社会で、ヒルマさんは「抽象絵画の先駆者」として、トーベさんは小説・絵本・挿絵・絵画と幅広い表現を手がけました。
それぞれに美術史に風穴を開けた存在と言えるけど、その苦労ははかり知れません。

2人ともとにかく絵がうまくて、作品に可愛さがありますよね。

ヒルマ・アフ・クリント(1862–1944)、トーベ・ヤンソン(1914–2001)

ヒルマ・アフ・クリント展

差別される側だったトーベさん

フィンランドにあってスウェーデン語を母語とし、同性愛者、そして女。
トーベ・ヤンソンは3つのマイノリティを抱えて20世紀のフィンランドを生きました。

フィンランドでは同性愛が1971年まで犯罪とされ、1981年まで精神疾患のひとつに分類されていたにもかかわらず、彼女は女性を愛したのです。

はじめにより

1971年だと、トーベさんは57歳!フィンランドでは犯罪だったのですね…。

自画像

私は、この本を読んで初めて、トーベさんのパートナーが女性だったということを知りました。

私が大好きなキャラクター・トゥーティッキは、トーベさんのパートナー・トゥーリッキ氏がモデルと言われているのですが、てっきり男性だと思っていました。

私がムーミンの原作小説を好きな理由は、女性のキャラクターが魅力的なところなのです。

女性が自由。というか、ムーミンの登場人物たちは男女問わず自由ですが。

トゥーティッキは女の子のキャラクターで、日本のアニメ版ではなぜか「おしゃまさん」という名前だったそうですが、原作小説を読んでも、トゥーティッキの性別はわかりませんでした。
その風貌から男の子かと思いましたが、途中でネットで検索して、女の子だと知って嬉しかったです。
こんな賢い女の子、素敵だな~と思って。

1960年にムーミンブーム

1960年代、ムーミン哲学が北欧諸国の学生や文学者の間で議論されるようになったそうです。
トーベ・ヤンソンのムーミンの世界観、精神性…。

やはり当時から、なんだこれは?という世界だったのでしょうか。

1962年には、初の短編集『ムーミン谷の仲間たち』が刊行されました。

話に登場するキャラクターを通じて、トーベ自身の鬱や押し殺していた怒りが掘り下げれています。
(中略)
短篇のひとつ『目に見えない子』では、愛を受けずに生きた子どもの成長やアイデンティティへの影響を、完璧なまでに視覚的に描きました。

ニンニのことですね!

ニンニ

ムーミンアラビアのマグカップを見てギョッとしましたが、お話しの中では最後、顔が見えるようになるんですよね。

あのさ、たたかうってことをおぼえないかぎり、あんたは自分の顔を持てるわけないわ。ほんとよ

ミイの言葉が最高ですが、これはトーベさんが自分自身に対して言いたかったことなのでしょうか。
1962年、トーベさんは48歳ですね。

トーベさんの多彩な人生…

こんなに才能に恵まれた人にとっては、ひとつの道に絞る方が難しいのかもしれません。

本当にそうですよねえ。。
トーベさんの歴史と作品がわかる一冊でした

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