捨てた着物を拾う孫?

捨てた着物を拾う孫?

97歳の祖父が亡くなったことがきっかけで、私の実家に置いてある祖母の着物を処分しようということになりました。
売ったところで二束三文だということは目に見えていますが、私の母は巨大な桐の箪笥を処分することを切望しています。母と私の着物をそれぞれ1~2枚だけ残して、桐の箱に入れて仕舞いたいそうです。

日曜日の夕方、軽い気持ちで桐の箪笥から着物を出してみたらまあ大変。
想定していた以上にたくさんあった上に、母が啞然とするほどお金がかかっていました。
着物に詳しくない私が見ても、一目瞭然。しかも、しつけがしてある着物が多数。
新品未使用ってやつだ。

おばーちゃん、こんなに着物を買ってどうするつもりだったんだ・・・。

本人に確かめたいけど、祖母は92歳でボケています。
その日も久しぶりに老人ホームへ面会に行きましたが、相変わらず美しく、私のことがわかっているのかわからないけどニコニコ嬉しそうで、ひ孫の写真を見てかわいいかわいいと喜んでいました。

でも、ボケている。

桐の箪笥から引っ張り出された大量の着物を見ていたら、私の知らない祖母の一面を見た気がしました。

目次

孫の考察

私の祖母は、天性の片づけ上手の普請好きでした。「ふしんずき」ってポピュラーな言葉なのでしょうか?
「おばあちゃんは普請好きだから」と、私にとっては子供の頃から耳にしていた言葉で、要するに家の中をいじるのが好きということです。生涯で新築の家ばかり4,5軒、買っては売って買っては売って、途中でリフォーム。模様替えもしょっちゅうしていました。
家で工事業者の人がトンカントンカンやっていると嬉しかったようです。

インテリアのセンスも良くて、絵や調度品の類もスッキリと飾ってあり、私は祖母の家が大好きでした。
観葉植物を育てるのも上手だし、何よりお料理が上手。器のセンス、盛り付け方もどこで習ったのかと思う程素敵でした。
祖母の自慢を始めたら止まりません。

そんな自慢の祖母が桐の箪笥に仕舞い込んでいた大量の着物は、私の知っている祖母の姿とは異なるような・・・。

祖母が私の祖母になったのは50歳の時。今は92歳だから、人生の半分ぐらいを「おばあちゃん」と呼ばれていることになりますね。
私の記憶では、祖母が着物を着ているのは冠婚葬祭の時のみ。
こんなにたくさんの着物を持っていながら、祖母は着物を着る人ではなかった。
ということは、買うことが趣味だった?

でも、祖母は着ないものを買うような人ではありませんでした。
安物買いが嫌いだったので、いつも上質な洋服を着ていたけど、クローゼッは常にすっきりと整理されていました。
でも、箪笥の中にはこんなにたくさん着ない着物を持っていたとは!

しかも、その趣味が洋服の趣味とは少し違っていたのです。
洋服はいつも落ち着いた色が多かったけど、着物は派手め。

いったい、いつ、何の目的で買ったのか・・・。
おそらく、私のおばあちゃんになる前だろう。
ということは40代。今の私と同じぐらいの年齢?そのころは、日本の景気も良く、祖父の羽振りもよかったのかな。
私の母は大学生だし、叔父たちも中高生ぐらいだ。3歳の息子を追いかけている私とは色んな意味で違い過ぎる。

いや、おかしいな。たとう紙は高円寺の呉服屋さんだった。ということは、阿佐ヶ谷に引っ越した後だろうか?そうすると、私のおばあちゃんになった50代以降に買ったのか?

もはや想像するしかないけど、祖母が欲しくて買ったものであることは間違いない。
これは、祖母の趣味でトキメキなのだ。
子ども時代は戦争、娘時代は戦後。二十歳そこそこで結婚して、20代は義両親の世話と介護と出産子育て。
しかも、義母はめっちゃ意地悪。
これらの着物を買っていたのは、義母から解放された30代半ば以降であることは間違いない。

孫は釜ジイ?

悲しいのは、目の前の着物たちを私が着られないこと。
だって私、手足が長いもので。祖母は158cmぐらいなので当時の人としては背が高い方だと思うけど、私は169cm。しかも、腕が長い。学生時代、バイト先で「釜爺みたい」と言われていたぐらいです。

かまじい by 千と千尋の神隠し。 釜爺も私も高いところに手が届くんだよ。

小学生の頃から、「そんなに背が伸びたら着物が着られなくなる」と祖母にため息をつかれていたのは、祖母が着物が好きだったからなのか。
「ゆきが~おはしょりが~」と言われ、着物ってイジワルだなと思っていました。

試しに大島紬に袖を通して見たけど、母から言われたのは「みっともない」の一言。
ひどい・・・。私だって好きで釜爺になったわけではないのに。160cmぐらいで止まってほしかったけど、そんなの小学校時代の身長だ。ああやだやだ。着物ってイジワル。

拾う孫?

そんなことを考えていたら『外の音、内の香』で、梅津奏さんが着物の話を書いてらっしゃって驚きました。

私も幸田文さんの小説『きもの』が大好きです。学生時代から、現代版での映画化を熱望しています。

幸田文さんの着物エッセイもよく読んだなあ。
着物エッセイで好きなのは、三砂ちづる先生のご著書。
たしか三砂先生は大島紬を普段着として着てらっしゃって、それに私は憧れていました。

一見、地味なんだけど機能的で着やすそうで、かっこいいなあと思っていました。
いつか私も大島を普段着に」と望んでいたけど、すっかり忘れていました。
そして今、目の前に「ご自由にどうぞ」と置いてあるのに、布が足りていない。ああ無情。

まあしゃあないわな。

昔、祖母と着物の話をしていた時、「私たちの代が着物を捨てた」と言ったことがありました。
洋服はラク。着物なんて着る必要はない。箪笥に大量の着物を抱えておきながら、祖母はそんなことを言っていました。

祖母が子どもの頃は、着物が普通だったのでしょう。それが洋服に移行していった。
祖母たちは着物を捨てて、洋服での暮らしを選んだ。理由は、ラクだから。

人はラクな方を選ぶ。ただそれだけだ。

たしか、三砂ちづる先生のご著書には、洋服よりも着物の方がラクだというような記述がありました。
人や暮らし方によって「ラク」は変わりますね。

最近、女優の吉田羊さんがアンティーク着物を洋服や小物と合わせて着てらっしゃいますね。
梅津奏さんの連載を読んで、祖母の代が捨てた着物を孫の代が拾って楽しんでいるような気がしました。

私が楽しむとしたら、自分サイズの着物を仕立てるところから始めなきゃいけないし、いろんな意味でハードルが高い。
着物のことは本や小説で読んでいるぐらいがちょうどいいかな。

私の母も着物が好きな人ですが、日本の気候は着物に合わないと言っていました。
夏に単衣の着物なんて暑すぎて着られないと。

そりゃそうですね。って、母よ。我が母もここ数年で何枚も着物を買っていたことが判明。
しかも、1、2着残して全て手放すらしい。

えーせっかく買ったのになんで?諦めちゃうの?
やっぱりこの親子は着物を買うことが趣味なのだろうか。

孫ができること

改めて、「捨てる」ってしんどいことだなと思いました。
結局、三分の一ほどは手放しましたが、三分の二は保留。
もったいないというか、罪悪感?何かこの着物たちに報いたいような気持ちになるのです。

でもおそらく、この着物たちは祖母に買われた時点で役目を終えていたのでしょう。
だからそれ以上に報いる必要はないと頭ではわかっているし、そもそも物に報いるという発想がおかしいか。

結局はこのまま何もできず、どこかのタイミングできれいさっぱりお別れすることになると思います。

着物文化を私が受け継ぐかどうかに意味はない。
私が祖母から受け継いだのは私自身。それだけで十分だ。

私が娘を妊娠中、お腹の子が女の子だとわかった時、「責任重大ね」と助産院の院長に言われました。
「今あなたは、自分の孫が生まれる子宮を育てています。人間はみんな、おばあちゃんの子宮で作られた子宮から産まれてくるんですよ。あなたの妊娠中の過ごし方は、自分の孫にまで影響すると思いなさい」と言われました。

一瞬、何を言っているのかわかりませんでしたが、よくよく考えるとたしかに。
みんな、母方のおばあちゃんのお腹の中で育まれた子宮から産まれてきたのだ。

私が報いたいのは、おばあちゃんの人生に対してかもしれません。
長い人生の大部分を母、祖母として生きてきて、本人すらも忘れかけているその年月に報いるとしたら、私が生まれてきた時点で既に達成された気もします。

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