いつだったか、暮らしのおへそラジオで木村愛さんが「携帯電話のない時代」についてお話されていました。
映画『恋する惑星』を観て、ああ、携帯電話のない90年代ってこういう感じだったなあと思い出したと。
「携帯電話のない時代」を知っているのは、どれぐらいの世代までなのでしょうね。
私が小学生だった頃に読んでいた漫画では、主人公が喫茶店で待ちぼうけしたり、待ち合わせの相手が公衆電話から喫茶店に電話をしてマスターに伝言を頼んだりしていました。
その後に、ポケベルが鳴らなくて恋が待ちぼうけしていた時代があったのでしょうか。
現在41歳の私は、1年差ぐらいでポケベルを手にできず、初めて持ったモバイル通信手段はピッチ(PHS)でした。
現在放送されているドラマ『不適切にもほどがある』、めっちゃおもしろいですよね〜。さすがクドカン!
このドラマは、昭和のダメオヤジが令和にタイプスリップ!ということで、タイムマシンで1986年と2024年を行ったり来たりするお話です。
行ったり来たりする昭和のオヤジが阿部サダヲ。面白いに決まってます。
初めて見たスマホを「ツルッとした平べったいの」と言って、みんな持ってるけど何なの?と不思議がり、バスの車内で喫煙していた動画がSNSで炎上しているのを見せられて「これ、テレビなんだ」と納得。
いや、テレビというか電話というかカメラというか?
そうだよね。スマホなんて想像もつかないだろうな。
ドラえもんの四次元ポケットから出てきたとしても出来過ぎている。
私はピッチを手にした時から、依存しないように注意して付き合ってきたつもりだけど、スマホはあまりに便利過ぎてすべてが集約されすぎて、もはや依存もへったくれもない必須アイテムです。
小学校とのやり取り(欠席の連絡など)もアプリになりました。
現在放送されている別のドラマ『アイのない恋人たち』では、33歳の登場人物たちがなんとも言えない表情で手の中のスマホを見つめる姿が印象的でした。
第一話しか観ていないのですが、「これさえ無ければ」というような冷たい目でスマホを見るのです。
うわ~、辛い。
彼らにとってスマホは、過去も現在も未来も詰まっているんだなと思いました。
そして、幸せも不幸せも運んできて、自分を解放してくれない。。
スマホのない世界を教えてあげたいと思いました。
そういう世界もあったことを。
マッチングアプリのない世界、既読も未読もない世界、過去が簡単に出てこない世界。
スマホが存在しなければ、あなたたちの悩みは無くなるんじゃないかと思ってしまった。
1月に観たドキュメンタリー映画の中で、作家の角野栄子さんが旅先でスケッチをしていました。
「わたくし、写真を撮らないから」と言って、いつも持ち歩いている小さなノートにササっと。
ひや~。ステキ~~~~!
スマホは絶対に便利だしその恩恵は計り知れないけど、使われないようにしなくては。
便利だから使わなきゃいけないことはない。
待ちぼうけしても、迷子になっても、用事を忘れてしまっても、どこまでスマホを使うかはそれぞれの自由だ。
時代遅れと言われても、オジサン・オバサン構文とバカにされても、「スマホのない世界」を知っている世代の方がスマホとうまく付き合えたりして。
スマホが無くても生きていける世界を知っているなんて、かなり貴重だ。
かまいたちがM-1グランプリを取った時のネタを思い出します。
「ぼく、トトロ観たことないんですよ~」と、『となりのトトロ』を観たことが無いことを自慢する男のネタ。
「あなた観ちゃってるんですよね?ぼく、観たこと無いんですよ」と、観たことがある人は観たことが無い人の状態に戻ることはないと熱弁するのですが、「私、20代半ばまでスマホ持たずに生きていたんですよ」というのは「ぼく、トトロ観たことないんですよ」に似ている気がします。
どうでもいいですが。
「手のひらに、明日をのせて」という008年のNTTドコモのキャッチコピーが好きで、忘れられません。
あのころは折りたたみ式の携帯電話にiモードがついているのが最先端だったかな?FOMA?
この時点ですら、もうこれ以上便利になる必要は無いと思うほど便利だったけど、いやいやその先はとんでもなかったですね。
携帯がスマホになってただの生活必需品になっても、夢も希望もない話題しか提供されなくても、持ってるだけでカッコイイ夢のワクワクアイテムだと思いたいです。