めんどくさい、困惑の40歳?

めんどくさい、困惑の40歳?

う~ん、困った。
私は今、とても困っております。
それは、母親としてでもなく、女としてでもなく、「一人の人間として」困っております。

この「一人の人間として」というところがミソ。
そんなことを言ってしまう自分にも、困っています。

4月にあった、こんな出来事をご存じでしょうか。
国連女性機関(UN Women)が、日経新聞が掲載した全面広告(巨乳の女子高生)について「容認できない」と抗議。
対外的な公式の説明や、広告の掲載の可否を決めるプロセスの見直しなどを求めた事件です。

要約すると、「国連が日経に激オコ」。

えっ、何で国連が日経に怒るの?別にいいじゃん、日本のことなんて放っておいてよ。
日本のイチ新聞の、イチ広告じゃん。巨乳の女子高生の全面広告は不快だけど、国連に関係ないでしょ?

私も思いました。
でもでもでもでも、そんなの関係ねえ!では済まされないのです。

日経新聞社は、国連女性機関と連携し、広告におけるジェンダー平等を推進するために「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」を主催しており、「3つのP」という審査項目を掲げているそうです。

Presence 多様な人々が含まれているか

Perspective 男性と女性の視点を平等に取り上げているか

Personality 人格や主体性がある存在として描かれているか

この基準に照らし合わせると、今回の巨乳の女子高生のイラストは、記事の中でこのような指摘を受けています。

『未成年の女性の肉体に欲望を抱く男性の視点』のみに偏っており、見られ、触られる側に立つ女子高生の『人格や主体性」は考慮されていません。

そう!そこ!そこなのよ。私が気持ち悪さを感じたところは。
大の大人が、日経新聞広げちゃうような人が、巨乳の女子高生見て喜んでいるのかと思うと絶望しますが、それよりも、女子高生という存在を性的なものとして消費する風潮がおかしいし、そもそも、「美人すぎる〇〇」という表現など、どんな女性でも人格を持った一人の人間であるという概念が抜け落ちていることが気持ち悪い。

もう、この視点を手に入れてしまうと、元には戻れないのです。
これが困った!!

いちいち引っ掛かるのです。

点々

私は、ジャニーズのアイドル・Snow Manのファン(以下、スノ担)なのですが、最近、スノ担をヤキモキさせる事件がありました。
芸能界の大御所タレント・明石家さんまさんが、Snow Manのメンバー・佐久間大介くん(以下、さっくん)と個人的にLINE交換をし、女性を紹介しようとしているという話をラジオでされたそうです。

その女性は、さんまさんの意中の方らしく、テレビでさんまさんと共演していたさっくんを見てファンになり、紹介してほしいとさんまさんにお願いしたそうです。
さんまさんは、なんで佐久間やね~んと思いながらも、自分がモテたいがために、さっくんとその女性を引き合わせようとしていると。
しかし、さっくんはアニメオタクで、普通の女性は目に入らないらしい。
せっかくキレイどころを紹介しようと思ったのに残念だと話したそうです。

要約すると、「さんまがSnow Manに女性を紹介しようとした」ということです。

これに対してスノ担は阿鼻叫喚。ツイッターでトレンド入りという、場外戦に発展しました。
「さっくんは、さんまさんとLINE交換できたって喜んでいたのに女性を紹介するためだったなんて、さっくんが可哀想」!
「さっくんは、全力でアイドルをやっているんだから、さんまさんは余計なことしないで」!
「さっくんは、アイドルです。芸人扱いしないで」!
「SnowManは大御所の誘いを断れません!滝沢社長、SnowManを守って」!
「ジャニーズなめんな」!

などなど。
挙句の果てに、スノ担がさんまさんを糾弾することによって、SnowManの仕事が減るのではないかと心配する一派も。

皆さん、色んな引っ掛かりポイントがあるようですが、私の引っ掛かりポイントは「せっかくキレイどころを紹介しようと思ったのに」というキレイどころというワード。
これってさ、女性は外見が美しいことに価値があるという価値観を植え付けていないか?

・・・ほ~ら、めんどくさ~い。

こういうことって、一度その見方を知ってしまうと元に戻れないようです。
私は「キレイどころ」というワードをスルーできなくなってしまいました。
Snow Manの心配どころではない。

こんなことでは芸人さんのオモロイ話なんて、ほとんど笑えなくなります。
というか、テレビ番組なんて、ほぼアウトでは?

点々

そんなわけで、2022年6月の私は、困惑の最中におります。
私にとって、この困惑は現在のタイミングで起こりました。
もっと早くにタイミングを迎えた人もいたでしょうし、これから迎える人もいるでしょう。

裏を返せば、「イケメン」と男性を評することも同じですよね。

「〇〇君はイケメンだね」という言葉は、褒め言葉で言ったつもりでも、見た目で人を選別するルッキズムであり、〇〇君に対しても、〇〇君以外の男性に対しても失礼でした。

自分が当たり前だと信じてきた価値観が変わるというのは、不安だし、悲しい気持ちもある。
それに、今まで自分も傷つけられてきたし、自分も誰かを傷つけてきたのだという事実。
自分の傷を認めることは、辛く、とても悲しい。
できれば、そんなことは無視して、これまでと同じ価値観で生きていく方がラクでしょう。

でも、変わっていかなくてはならないのです。
国連に怒られるからではなく、これまで良しとされてきたことは間違っていたから。

「日本の女性の社会的地位が153か国中121位」と聞いても、「でしょうね~」としか思わなかったし、
その元凶たる「性差による役割分担の固定化」も、当たり前のこととして受け取っている自分がいました。
めんどくさい人になりたくなかったし、批判することも、批判されることもなく平和に生きていきたかった。
あらゆる差別や偏見に対して鈍感になることによって身を守っていたとも言えます。

しかし、最近の私ときたら、「それって、ルッキズムじゃない?エイジズムじゃない?」と、いちいち自分に問いかけるようになりました。

め・ん・ど・く・さ・い!!

でも、うまく説明できないけど、少し解放感を感じます。
あれもOK、これもOKと認められるということです。
それは、とても気分がいい。

今まで、ずいぶんと色んなジャッジをしてきたんだなと自覚する毎日です。
色んな「思い込み」があったのだと気づき、いちいち困惑しています。

もうすぐ不惑の40歳を迎える私ですが、不惑なんて絶対無理。
惑の40歳。
でも、いくつになっても困惑しながら、時代に迎合するでもなく、流されるでもなく、一人の人間として考えていきたいです。
そんな感じでいかがでしょうか?孔子センセイ~。

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