めめの犬になりたい。

めめの犬になりたい。

コロナなう。ですが、娑婆の空気が吸えるまであと一日となりました。

インフルエンザにもなったことが無いのになぜかコロナにかかってしまい、なんやねん。どないやねん。どないなっとんねん!ゲホゲホ。と、威勢よく横山やすしをやってみては、弱々しくせき込む日々でした。
隔離された病床の母となり「ふすまの戸 のぞき見る吾子 いとかなし」と、夏井いつき先生の前には到底出せないような俳句を読んで、正岡子規ごっこをしてみたり。
窓辺には、ひな祭りの日に飾った桃の花がカッサカサになっております。

点々

隔離が成功したようで、夫と2児は感染せず、濃厚接触者の隔離期間を終えて一足先に娑婆の世界へと戻ってゆきました。(抗原検査キットでの陰性の確認もしました)。
最も心配した娘の卒園式は、実家の母と一緒に出席することができ、本当にギリギリのタイミングで、不幸中の幸いでした。


卒園式だというのに、赤い派手なブラウスを着て現れた母。
差し色にしては範囲が広い。
ついでに、コンビニに行ってもらったり、学童への書類を届けてもらったり。
お昼には、娘の大好きなコメダ珈琲へ連れて行ってもらいました。
コメダは意外と高いので、おばーちゃんと行くことにしてもらっています。
ダイナミックなグラスに入ったクリームソーダは、子どもの目からすると特別な飲み物のようです。

実家の母とて、初孫の卒園式に単独で参加することになるとは思わなかったでしょう。
おばーちゃんが来ているのは我が家だけだったようで「おばあちゃまはこちらです」「おばあちゃまっ!おばあちゃまっ」と、卒園式にして保育園初心者のおばーちゃんは、先生方から手厚くフォローして頂いたようです。

そりゃあ孫ができたことは素晴らしいことでしょうけど、孫ができたから、年を取ったからと言って、見ず知らずの人に「おばあちゃま」扱いされるのはどうなんでしょう。
「ねーちゃん!ねーちゃん!」と店員さんを呼ぶオッサンは、東京ではあまり見かけませんが、「おかーさーん」と店員さんを呼ぶ旅番組のレポーターはいまだ健在な気がします。
自分の母親でもない人を「おかーさん」と呼んでいる人を見ると、黒柳徹子とマッチを思い出します。

点々

つまり何が言いたいかというと、実の孫と祖母であっても、社会に一歩出ると少し嘘くさくなるというか「おばあちゃんごっこ」をしている感じがあると思うのです。

実際、私はいまだに「リアルおかあさんごっこ」をしている気分です。
確かに、私は子どもを産んだ。
日々、親としての責任を果たすべく、安全を守り、食事と寝床の提供に粉骨砕身しているが、だからといって、本当に私はお母さんなのだろうか?
子どもを産んで6年経つけど、いまだにちょっと信じられない。

そういえば、15年やった会社員も、ずっと「OLごっこ」をしている気分だった。
真面目にやればやるほど「OLやっとんなあ。ぷぷぷ」とほくそ笑む自分がいた。
何をやってもごっこ遊びをしているような感覚になるのは、何かの防衛本能なのか、私の性格なのか?

どれも、自分に会社員なんて務まるはずがない。お母さんになんてなれっこない。そんな自己肯定感の低さが影響している気がします。
それと、もともとの性格がちょっとひねくれていることも?

卒園式も謝恩会も、お母さんでは私だけが出席できず、皆さんと卒園を祝うことができない孤独を味わいました。
“皆さん”とは、同じクラスのお母さんたち。
そもそも、コロナ陽性の連絡を受けたときも、コロナになったことより卒園式と謝恩会に出られないことの方がショックでした。
私は、一世一代の「リアルおかあさんごっこ」の舞台を失ったのです。

お母さんになったことで、ほぼ自動的に「ママ」コミュニティへの参加権を得て、「ママ」という生物とともに「ママ」というアイデンティティを育んできました。
その「ママ」が一堂に会する機会が卒園式と謝恩会だったわけで、私はここで一世一代のママごっこを楽しみたかったのに、そうは問屋が卸しませんでした。

やっぱり私には縁のない世界だったのかなあなんて悲観的になりつつ、我が愛しのアイドル・Snow Manのブログに救いを求めると、目黒蓮くん(以下、めめ)が更新しているではありませんか。

点々

昨夜起こった地震の被害を心配するめめ。
卒園式の前日には、あの大きな地震があったのです。

私は、地震が起こる2時間ほど前にひどい頭痛に見舞われました。
星野源の闘病のエッセイを思い出すほどの頭痛。
別室で夫は子供たちと既に寝てしまっている。
どうしよう。
最近、Kaiさんのインスタで覚えた第6チャクラのあたりが猛烈に痛い。
私の第6チャクラ~!私はまだ死にたくない。
上の娘は良いとしても、下の息子はまだ1歳半。
今、私が死んでしまったら、記憶に残らないだろう。
そんなの嫌だ。どんな姿であっても、私は息子の記憶に残りたい。
それこそが、今の私の生きる目的だとわかりました。

痛み止めを飲むといつの間にか眠れていて、地震で目が覚めると頭痛は消えていました。
私は昔から地震の前後に頭が痛くなるタイプなのです。

めめのブログには「みんなが無事でいてくれないと俺困るよ」と書いてありました。
ええ、無事ですとも。生きていますとも。
僕は死にましぇん!あなたが好きだから!
唐突に現れる武田鉄矢。流れくるチャゲアス。幼少期の刷り込みはすごいです。

めめはポメラニアンを飼っています。
一人暮らしだと匂わせながら、実家暮らしみたいなエピソードばかり出してくるので、そのたびにファンをやきもきさせます。
どっちなの!?って、どっちでも良いのですが、気になります。
そのポメラニアンが地震におびえて震えながら、めめのところに「抱っこして」って来たそうです。
「可哀想だった」って・・・。

その日の夜、私は娘に言いました。
「ママは、生まれ変わったら、めめの犬になりたい」。
前夜、あれほど死にたくないと願った舌の根の乾かぬ内に、死後の希望を述べる私。
4歳の時から、めめが好きな娘。同意を得られるかと思いきや、
「えー?犬だよ?やだよ」とあっさり拒否されました。
「え!犬は犬でも、めめの犬だよ!めめに甘え放題なんだよ!?」
「えー、でもやだ」。
なんて健全な6歳児。

生まれ変わらなくても、めめと同じ時代を生きられるだけでいいか。

めめもいるけど、コロナもいる時代を。

点々

先日、森山直太朗さんがテレビ番組で、コロナにかかって孤独を味わったという話をされていました。
直太朗氏は8月のデルタ株に感染し、重症で40度の高熱が6日間も続いたそうです。
コミュニティから隔絶される孤独を味わったという話を私は少しだけ理解できました。

卒園式があったタイミングだったからこそ感じた孤独。
急に、クラスのお母さん達が集うグループLINEの会話が遠くなる。
いたはずの自分がいない不思議。

先週、この隔離期間で生まれ変わってやると威勢のいいことを言いましたが、今は、心身ともに筋肉が落ちてなんだかぼーっとしています。はあ・・・
私は娑婆でやっていけるのかなあ~という不安を抱えつつ、Snow Manのブログをのぞいてはニヤニヤしてしまうのであります。うふふ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次