乳腺繊維腺腫の手術

乳腺繊維腺腫の手術

胸を2センチほど切って、乳腺繊維腺腫を取り除く手術を受けてきました。

日帰りでできるかと思いきや、全身麻酔をするせいで1泊2日の入院に。
身体にメスを入れるのは初めて!

このシコリ・・・最初に発見したのは22歳の時でした。
『発掘!あるある大辞典』(懐かしすぎる)で乳がんの自己チェックの方法を見て、試しにやってみたら、それらしきものがあったのです。

目次

足かけ17年のお付き合い

私は、父の叔母・みっちゃんの生き写しと言われていて、そのみっちゃんは30代で乳がんで亡くなりました。
父方の祖母(みっちゃんの姉)も乳がんをやったそうですが、87歳まで元気でした。
この祖母にも私は顔が似ていました。

顔が似てるからって私も乳がんになるというわけではないのですが、なんとなく気になっていたところでシコリを発見。

その後、うら若き乙女にはハードルの高い婦人科を受診し、都心の病院を紹介され、痛いだけで若い人には何の意味もないマンモグラフィーを撮り、太い針を胸にブッ刺す超絶痛い細胞診検査の結果、「乳がんかもしれないし、じゃないかもしれない」という診断が出ました。

その時、齢23。
診断を母に告げたら、母は顔面蒼白。

そりゃそうだ。
でもね、私は絶対、乳がんじゃないと思うのよ。
だってね、資料を見ると、23歳で乳がんになる人はほぼゼロに近い2%ぐらいなのよ。
高校受験も大学受験も失敗し、都会のOLになるべく就職したら練馬の事務センターに配属された私が、この2%に入るとは思えない。
ですので、私は予定通り、明日からシンガポールに行ってきま〜す。
じゃっ!

と、私がシンガポール旅行へ行っている間に、母は病院へ行って、セカンドオピニオンのために病院から資料一式を取ってきました。
そして、自らの人脈(医者の妻の友人とか)を駆使して「良い先生」を捜索。
現在の主治医に辿りついたのです。

点々

この先生、よくわかんないけど「超音波診断の権威」らしい。
マンモグラフィーはアメリカから大量に売りつけられただけ!
あんなの意味ない!ピンクリボン運動も嘘!
信じられるのは超音波のみ!という過激派。
そして、自らを「切らない外科医」と称します。

多くの外科医はすぐに切りたがる。
でも、僕は切らない。できるだけ切らない。
今すぐ切ることはできる。けど、切らない。

「乳がんかもしれないし、じゃないかもしれないから、切る」という医者は多い。
でも、僕は若い女性にとって、それがベストな方法だとは思わない。
僕が責任を持って診ていく。
超音波で経過を観察して、様子がおかしかったり、大きくなってきたら切ろう。
それまでは、定期検査以外の時は、このことは忘れて過ごしなさい。

点々

その後、超音波診断を重ねて、28歳の時に「乳がんではなく乳腺繊維腺腫」ということになりました。

それから、半年に1回の検査に行ったり行かなかったり、全然行かなくなったり、同い年の小林麻央さんのニュースで急に怖くなってまた行き出したりして、足かけ17年。

「そろそろお年頃だから、何かあったらすぐ来てね」と言われるようになりました。

そうか。23歳の時は2%だったけど、もう40歳近いから、かなり%は上がっている。
おお、気を引き締めていかねば。

と思った矢先、なんか最近、腺腫が大きくなっている気がする。

乳がん経験者の北斗晶さんが、検診と検診の間に乳がんができて発見が遅れたと言っていた。
(という話をYahoo!ニュースで見た)。
違和感があったのに次の検診でいいやと思ったのが間違いだった。
あの時早く病院に行っていれば、もっと早期に発見できたのに。

今回、北斗晶さんの話を思い出して、定期検診から1ヶ月しか経っていないけど病院へ行って診てもらいました。

「たしかに大きくなってるね。もう切っちゃおうか?一番最初に大きくなったら切ろうねって言ったよね?」

というわけで、遂に、切るときがやってきたというわけです。

全身麻酔への不安

先生が「こういうのはね、さっさとやっちゃおう」と言うので、手術は1週間後に。
色々悪態をつく先生ですが、全方位的に気を遣ってくれたようで?金曜日〜土曜日の1泊2日にしてくれたのは、子持ちには有難い。
というか、先生が院長なのでなんでも一言で決まる。笑

手術そのものより、全身麻酔が嫌でした。
部分麻酔でもいけんじゃないっすか?と聞いてみたら、ウクライナの兵士は麻酔なしでなんとかの処置をしているのに。と、全身麻酔で手術ができることの有り難さを説かれました。

おっしゃる通りでございます。

あー全身麻酔やだなあという期間が、1週間だったことは幸いでした。
「さっさとやっちゃおう」で、本当によかった。
1ヵ月後だったら、1ヵ月間、気が重くなるところだった。

点々

1泊2日の入院手術は、暇な時間が無いほど色々ありました。
レントゲンやら注射やら点滴やら何やら・・・。
夜中にはおじいさんのうめき声がフロアに響き渡っていましたが、私もぼんやりしているのでいつの間にか朝に。

ウクライナの兵士ではないけれど、こんなふうに病院に入院できるって有り難いなあ。
日本は貧しくなっているというけれど、国民皆保険制度だけは維持せねばならぬ。(って何者?)

ここだけの話、手術の時、私は裸眼なのでほぼ何も見えていなかったのですが、執刀医も看護師さん達もなかなかご高齢だということはわかりました。
医療現場の人手不足と高齢化をひしひしと感じました。

私が60歳になる頃は、日本の4割が60代以上になるそうです。
何は無くとも、国民皆保険制度だけは守り抜かねばならぬ。(しつこい)。

全身麻酔は10年ぶり2回目ですが、麻酔が効いていく感じってすごく不思議ですよね。
ある意味、恐怖。ある意味、面白い。
自分の意識が負けた次の瞬間、耳をつんざく周りの音。
手術が終わった瞬間に目覚める、あの絶妙なタイミング。
そして、ひたすらぼんやりする。
あーとりあえず、目覚めてよかった〜。

たった2センチ切っただけで、色々と痛い。
帝王切開って大変だろうなあ。
10センチは切るというし、その後は初乳を出したり育児が待ったなしで始まる。
どれだけ大変なんだろう。

我がおっぱい人生に悔いなし。

私はもともと非常にボリュームのない胸なのですが、これが母乳だけは異常なほど出る胸でして。
2児に搾り取られて、えぐれるほどボリュームダウンしました。

ボンッキュッボン!に縁がなく、これからもヒョロヒョロ路線だと思いますが、この小さな胸に秘めた私の誇りは誰も知るまい。

キズもできたしボリュームもないけど、誇らしき我がおっぱい。

点々

1人目の娘が赤ちゃんの時は、「おっぱいトラブル」続きでした。
乳首の裂傷が地獄のように辛かったし、乳腺炎には10回ぐらいなりました。

乳腺炎になりやすいので、桶谷式母乳相談室(という施設が全国にあるのです)に43回も通ってケアを受けました。
(母乳育児、めちゃくちゃお金かかった)!

でも出るものはしょうがない。飲んでいただかなくては。
娘は1歳までほぼおっぱいのみでお腹いっぱいになってました。

2人目の息子は、産まれた翌日からよく飲む「天才おっぱい児」でした。

よく母乳神話なんて言われますが、私は母乳を信仰していたわけではなくミルク育児に憧れていました。
だって、ミルクは誰でもあげられるので便利です。
赤ちゃんが母乳しか飲まないと、1歳ぐらいまでは赤ちゃんと離れられなくてとっても不便。
母乳を出すのはとにかく体力を消耗するし。
高齢出産の高齢母乳育児は、ボロボロのスッカスカになる感じで、息子が1歳半の時には家族で私だけコロナになりました。

見た目はガリガリ、ぺたんこおっぱいで、さらにキズまで付いてますが、2児に吸い取られ、おっぱいトラブルに泣かされた日々が私に誇りを与えてくれました。
これは「使い切った」ことへの満足感なのかもしれません。

点々

与えられたものを使い切る。

独身時代、アーユルヴェーダのサロンで出会った先生が、閉経を迎えたことを「原始卵胞、使い切りました!」と清々しくおっしゃっていたことがずっと心に残っています。
その先生はお子さんはいらっしゃらないのですが、毎月の生理を「原始卵胞を使い切る」と表現していたのです。

そうか、子どもを産む産まないじゃないんだな。
自分に備わったものをきちんと循環させて生ききることが大切なんだ。
毎月の生理を完遂するだけでも大仕事。
使い切った!で終われるように生きていこうと思えました。

手術をしても、乳がんへの心配は無くならないし、小さい乳腺繊維腺腫は両胸にまだまだいっぱいあります。
先生いわく、遺伝子的にこういう人はいるそうです。
(今回取り除いた腺腫は、病理検査の結果良性でした)。

おっぱいに難ありの私だからこそ、神様は母乳育児をする機会を与えてくれたのかもしれないな~なんて思う秋の空でした。

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